黒人初大リーガー。栄光と失意の53年【二宮清純 スポーツの嵐】


名選手ジャッキー・ロビンソン
ドジャースの大谷翔平が、記念すべきMLB通算150盗塁を記録した4月15日(現地時間)は、奇しくも「ジャッキー・ロビンソン・デー」だった。
1947年4月15日、ブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンは、本拠地エベッツ・フィールドで初のアフリカ系米国人として、MLBデビューを果たした。
一方で1884年にアメリカン・アソシエーションのトレド・ブルーストッキングスでプレーしたモーゼス・ウォーカーを、MLB史上初のアフリカ系米国人と見なす向きもあり、実際に記録も残されているのだが、一般的にはジャッキーの方が有名だ。
首位打者(49年)やMVP(同年)にも輝いているジャッキーだが、最初に獲得したタイトルは、ルーキーイヤーの盗塁王だ。宿敵ヤンキースを倒した55年のワールドシリーズでは、劇的なホームスチールを決めている。
全ての選手が「42」の番号を背負ってプレーする記念すべき日に、大谷が節目の記録をつくったのも、何かの縁か。
その大谷、記録達成の4日後、待望の第一子を授かった。
さてジャッキーは、人種差別の壁を打ち破った英雄だが、第2次世界大戦に従軍した愛国者としても知られている。
同じアフリカ系米国人のスポーツヒーローでありながら、「オレはベトコンには何の恨みもない」と公言してベトナム戦争の徴兵を拒否したモハメド・アリに対しては、黒人社会の向上を目指す社会運動家として批判的なスタンスをとった。
皮肉なのは、長男のジャッキー・ロビンソン・ジュニアが、歩兵隊としてベトナムに赴き、麻薬中毒に陥ってしまったことだ。
ジャッキーの自著『黒人初の大リーガー』(ベースボール・マガジン社)に、ジュニアの裁判での陳述が記載されている。
<ベトナムでは、我々はカムラン湾と呼ばれる所に上陸したが、最初の数カ月は軍事行動が全くなかった。ポット(マリファナ)を徐々にやりだしたのは、この頃からであった>
やがてジュニアは、アヘンに浸したマリファナの常習者へと身をやつす。
<私は自分自身の三十八口径銃を持って、田舎の村を車で通りぬけながら、銃を持って銃口を住民たちに向けながら、心の中で彼らを撃ち倒している自分を想像したこともあった>
ジャッキーは息子を更生施設に入れ、社会復帰に力を尽くしたが、交通事故により24歳で亡くなった。失意はいかばかりだったか。ジャッキーも53歳で世を去った。
初出=週刊漫画ゴラク2025年5月16日発売号